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恋ヶ窪の由来

西武鉄道国分寺線 恋ヶ窪駅は日本に4つしかない「恋」のつく駅のひとつです
恋ヶ窪駅は1955年〔昭和30年〕2月10日開業
西武鉄道 恋ヶ窪駅
・三陸鉄道 恋し浜駅
・智頭急行 恋山形駅
・北海道旅客鉄道 母恋駅

「恋ヶ窪」なんとなくロマンチックな呼び名です
市民のみなさんの中にはこの地名の良さと、好環境に
ここを生涯の地として移住された人も多い事と思います。
ところで、この「恋ヶ窪」という地名はどうしてつけられたのでしょうか?
恋ヶ窪の由来は色々な説がありますが・・・

・武蔵の国府に近い窪地=国府ヶ窪 
・池に鯉が多くいた=鯉が窪 
・アイヌ語「(カイ)崖」ヶ窪



当時、恋ヶ窪は宿場だったそうです、この宿は大きかったらしく、遊女がいたそうです。
そこで、こんな物語をご紹介しましょう
 
 
 <恋ヶ窪に残る悲恋物語>
恋ヶ窪には畠山重忠 (はたけやましげただ) と夙妻太夫 (あさづまたゆう)の恋物語が伝えられています
重忠は武蔵武士団の棟梁で、古来誠実な名将として賛美されてきた人です
一方、夙妻太夫は恋ヶ窪の遊女で、大変に美しい人であったとの事です
重忠は本拠地が男衾郡畠山荘(現埼玉県大里郡川本庁)で、鎌倉との往復の際に必ずこの夙妻太夫を訪ねました
二人の間には、遊女と客という関係を越えた深い愛情が生まれ、夙妻太夫は重忠に尽くし、重忠もまた真心でこたえようとしました。
そうした折、重忠は平家を討つため、西国に出陣する命令を受け、夙妻太夫にそれを伝えました
彼女はこれが最後の別れになることを恐れて泣き悲しみ、一緒に連れて行って欲しいと頼みました
しかし、それも叶わず、一人残された夙妻太夫は待てども待てども帰ってこない重忠の身を案じ、泣いて暮らす日々を送りました
夙妻太夫に熱をあげるもう一人の男が彼女を口説こうとして執拗に迫りましたが、
夙妻太夫の重忠を想う心は動きません。そこで、一計を案じ、重忠が西国で戦死したとウソをついてあきらめさせようとしました
夙妻太夫は絶えいるばかりに泣き伏して、姿見の池に身を投じたと伝えられます。
村人は、夙妻太夫の哀れな女心に同情して、彼女を手厚く葬って、墓の脇に一本の松を植えました
この墓印の松は、西国にいる心の夫を恋うるように、西へ西へと傾いて伸びていったといわれます
また、その葉は不思議なことに、一葉で、切ない女心を表しているのだと村人はささやきました。

この『姿見の池』は昭和40年代に埋め立てられてしまいましたが
平成10年度にかつての遊水地として復元され、緑地保全地域として開放されています
 
 その後、無事に戻った重忠は、ことの顛末をきって慟哭し、亡き夙妻太夫のためにに一堂を建立し無量山道成寺と名づけました
そして阿弥陀如来像を安置して弔ったとの事です。

恋するまち恋ヶ窪はこの恋物語が由来の一つのようです。
一途に想う女心は、なんてロマンチックなのでしょう
 
現在、恋ヶ窪の東福寺には、夙妻太夫の傾城墓碑傾城墓由来碑が建てられています
一葉の松は昭和56年に枯れたため、切り倒されましたが
実生の松を植え継いで東福寺内の本道・事務所に向かう階段横に数本植えられております
     
 傾城墓碑  傾城墓由来碑 一葉の松


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